ジャーニー・イントゥ・アウェイクニング

本書は、シュリ・バガヴァンの幾つかの書籍の中からその教えの精髄、サーダナ、ウェブキャストを抽出して編纂したものである。
ワンネスユニバーシティー編著
出帆新社
ISBN978-4-86103-095-6
価格 1,800円
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ジャーニー・イントゥ・アウェイクニング 1,800 円(税込み) 数量個  

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 ワンネスの創始者であるシュリ・アンマ・バガヴァンは「外側の世界は内側の世界を反映するにすぎない」と述べています。私たちの苦悩に対する回 答は、いずれも私たちの内側に見つけることができるのです。シュリ・バガヴァンは「苦悩は事実の中にではなく、事実の受け止め方の中にある」と述べていま す。事実の受け止め方はマインドの中にあるのです。こうした真理を知らないために苦悩をしています。苦悩をはっきり自覚することによって自由つまりムク ティーに到達することができるのです。
 ワンネスユニバーシティーのムクティー・プロセスは、人類を完全かつ無条件に自由にすることを目的としています。それはシュリ・アンマ・バガ ヴァンの教訓、瞑想、熟考、そして強力なディクシャを通じて意識の状態に変化をもたらすものです。自分が行為をしているという感覚が失われます。すべては 自動的に生じるということが、はっきりと意識できるようになり、完全にして無条件の自由が得られるのです。ムクティーはマインドという監獄からの解放で す。無条件の愛、静寂そして歓喜を体験するようになります。特定の出来事にまつわる感情を引きずらなくなりますので、そこには苦悩の余地がありません。こ のプロセスによって気づきが得られ思考が打ち破られます。自分のやりたいことしか、やらないというのはマインドの働きです。自分のやることは、どんなこと でも楽しめるというのが自由なのです。このプロセスによって現在が現前していることが、はっきりとわかるようになるでしょう。そして喜びと安らぎのうちに 現在に生き、人生という川の流れに身を委ねることができるようになるのです(まえがき)より。

目覚めの前提条件
 ムクティーの前提条件のうちで最も大切なことは、目覚めへの情熱を抱くことです。情熱を抱くには、どうすればいいのでしょうか? 自分がいるのはマインドという監獄の中だということを知らなくてはなりません。マインドが監獄だというのは、それがあるために生活を体験することができなくなっているということです。監獄の中にいる人は、日の出も日の入りも眺めることはできません。屋外の新鮮な空気を呼吸することもできません。それが今日の人類の状況です。

コップに入った水を、ただ味わうことができるでしょうか? できません。

私たちは本当にいろいろなことを考えます ―― クリケットのスコアのことや、抱えている仕事のことなど。レストランに行けば料理を比較し批評します。マインドが料理を体験することを妨げているのです。 それは出来事に、いつも論評を加えます ―― 優劣を決め、比較し、分析するのです。自分の妻の顔を見ても、自分の妻を体験することがありません。ありとあらゆるイメージが押し寄せてくるのです。いろいろな考えが浮かびます。マインドが介入するのです。「もう若くはないな」年齢が問題なのではありません。新鮮さが失われたということです。体験が失われてしまったのです。自分の妻を体験することができないので、すぐに退屈して他の女性か、自分が夢中になることのできる他のものに気持ちを向けるようになっていきます。
 私たちは、この世にある、いかなるものの美点も体験することができません。自分の子供と関係する喜びを知ることがなく、暮らしの中で出会う、さまざまな光景、音、匂いの喜びを知ることがないのです。マインドのために何も体験することができなくなっています。

 その昔、小さな子供だったころには生命を体験することができていました。横たわって電灯を眺めている赤ちゃんを見たことがあるでしょうか?
 その赤ちゃんが笑って電灯に手を差し延べるのはマインドが邪魔をしていないからです。「電灯」というラベルを貼ることがないので論評することもないのです。 その赤ちゃんにとっては「電灯」の体験があるだけです。赤ちゃんは電灯であり、電灯は赤ちゃんです。そこには客体、主体、体験の三権分立がありません。ところが成長するにつれ、さまざまな条件づけを通じて「学習」が入り込むのです。すべてに名前がつき、ラベル貼りがなされます。家庭、社会、文化、教育、宗教、国家などにより、やらなくてはならないことと、やってはならないことが導入されるのです。こうして私たちは、みんなマインドの囚人になってしまいました。
 シュリ・バガヴァンは、マインドは過去に他ならないと述べています。それはとても古いものです。それは思考の流れです。思考は過日についてのものです。それは記憶であり、記憶は死です。そこには命がありません。そこには精彩がないのです。命は精彩に満ちています。それは現前します。それは現在の瞬間です。それを思考によって把握することはできません。思考は測定するもので、どんなものでも測定しようとします。現在の現前は測定できるものではありません。どんなに考えたところで、それに接近することはできないのです。生きていれば現在にあるだけです。その意味において私たちは誰もが死人なのです。 この真理に目覚めてマインドの束縛から離れるとき、私たちは生きることの何たるかを悟ります。「生存から生活へ」それがワンネスの使命なのです。
 私たちは誰もがマインドの囚人であるということを、しっかり自覚することが、目覚めのプロセスでは非常に重要な前提条件になります。

 それでは私たちの人生に目を向けてみることにしましょう。それは、大抵の人にとって凡庸で無意味で無目的なものになっています。仮に目的がある としても、それは取って付けたようなものでしょう。生活は機械的で、いつも同じことの繰り返しです。目を覚まし、身支度をし、新聞を読み、代わり映えのしない朝食を食べるのですが、献立にはちょっとした変化があるかもしれません。同じ会社か学校に通い、友人とおしゃべりをし、テレビを見、携帯電話で話をします。過去を悔やみ、未来を憂え、あれこれと口論、論争、けんかをします。それから布団に入るのですが、悪夢にさいなまれて眠れません。そのうちに健康を害して糖尿病、心臓病、高血圧、高コレステロール、関節炎、子宮筋腫などを患うようになります。そして最後はゴキブリのように死んでいくのです。それは自分一代にとどまらず、孫子の代まで同じパターンが繰り返されます。そして、ある日とうとう呼吸が停止して、この世に別れを告げるのです。こうした人生には意味がないので、いろいろと疑問を抱くようになります。「神はいるのか?」「神がいるとすれば、その神を作ったのは誰か?」「神がいないのだとすれば、この宇宙は、どのようにして出来たのか?」「人生の目的や意義は何か?」こうした根源的な疑問は山のようにあり、こうした疑問への答えを記した本もまた山のようにあります。自分の人生は凡庸で苦悩に満ちたものであるということを、しっかりと認識することが、目覚めのプロセスでは重要な前提条件になるのです。